初めまして。はにことだあこのママです。
私の生い立ちから現在までを紹介させていただきます。
ちょっと長いですが、サラッとでも読んで少しでも知って頂けたら嬉しいです!
海の幸と山の幸に囲まれた幼少期
私は海の近くの漁師町で、漁師ではない魚釣りが大好きな父親と、美味しいものが大好きな母親の元に3姉妹の3女として産まれました。
もちろん周りは漁師の方がたくさんいるので、小さい頃から殻付きのウニや獲れたばかりの新鮮なイカや魚を食べてました。
また、父方の実家が農家だったので、お米や果物、竹の子などいつも旬なものが食べ放題でした。
きっと美味しいものを求める私のルーツはここにあるのだと勝手に思ってます。
いきなり過酷な環境に飛び込んだ思春期
小学校から続けてきたバレーボールに朝から晩まで打ち込むために、縁があり声をかけてもらった高校へ入学。
中学の卒業式の翌日から、遊ぶ暇もなく寮生活が始まりました。
始まってから思った以上に先輩との共同生活が辛すぎて、1年生の夏にホームシックにかかりました。
もちろん辞めて帰るわけにも行かず、人生で初めて両親や家族の大切を痛感した貴重な夏でした。
そしてこれを境に、中学生から続いていた反抗期はパタリと卒業しました。(反抗期、長かったな。。)
進学ではなくあっさり就職の道へ
早く自立したくて、高校卒業を機に親が進める進学ではなく就職の道を選び、それと同時に1人暮らしを開始。
結局、家族と生活したのは中学を卒業するまでの15歳まででした。
そして就職できたのが福岡市内にあった老舗のホテルで、社会人になって初めての上司から“ビールは喉で飲め”と喉越しが重要なことを教わりました。
そして、いつも飲み会は仕事が終わる夜22時頃から始まって、始発が出る6時に解散になるのが当たり前でした。
仕事中は厳しかったけど、本当にめちゃくちゃでなんだかんだ楽しかった思い出しかないです。
突然の再開からの結婚
美味しいお店を見つけては飲み歩く毎日から、ひょんなタイミングで高校の同級生のS君と再開。
もちろん、高校時代は彼も部活をしていたので存在は知っていましたが、話した回数は数えれる程しかなかったと思います。
どこか懐かしい感じと大人になった彼のギャップに惹かれ?たのかは分かりませんが、再開から半年、福岡市内で1人暮らしをしている部屋を解約し、彼が暮らす大阪に移住しました。
彼の実家も大阪にあり親公認のもと、実家から車で10分のところに家を借り、5年の同棲生活を経て結婚に至りました。
長女出産後にまさかのUターン
結婚からすぐに長女のはにこを妊娠。
ツワリ以外は出産も何のトラブルなく、元気に産まれてきてくれました。
そして育児が始まったのも束の間、飲食店で働いてるS君は拘束時間が長かった為、子供が起きる前に出勤し、子供が寝静まった後に帰宅。
ほぼ1歳半までワンオペ育児でした。(今もですが…)
その時の彼の口癖は「子育てにもっと参加したいが参加できる時間がない」でした。
そんな中、福岡にUターンする話が浮上したのを機に、家族3人で福岡に帰福したのです。
大阪を出る際にS君の実家からは、福岡に引っ越すこと自体が私の企みだとかなり疑われました。(なくもない…)
次女が産まれる時の試練
またまた2人目の妊娠時も悪阻がひどく、仕事も休職するしかなかった妊娠初期ですが、ここまでは想定内でした。
ところが悪阻も落ち着き、安定期の真っ只中にお腹に異変を感じ、急遽夜中にかかりつけの産院に行くと、切迫早産でその場で即入院となってしまいました。
健康だけが取り柄だった私も年齢には勝てなかったのか、その時からプツリとはにことの時間が裂かれ、色んなことが不安で仕方ない毎日を過ごしました。
そして、なんとか臨月まで持ち応えてくれた辛抱強い次女だあこは、S君とはにこ立ち合いのもと無事に産まれてきてくれました。
そして今に至る
やっと次女だあこも意思疎通ができるようになってきたので、ワンオペでどうしようもない大変なピークは過ぎたと思っています。
ただ、それとは違う新たな悩みが次から次へと湧いてきて、今はその悩みの一つ一つを打ちのめしている最中です。
こう振り返ると、昔から考えるより先に行動するタイプってのがバレバレですね。
一応、考えてはいるんですが、どうしても身体が動いちゃうんですよね。
最後に
このブログは、時には3女の特徴を最大限に生かしつつ、福岡の美味しいものと、毎日の子育てで取得した誰かのお役に立てる情報などを中心にこれから発信して行きたいと思っています。
また、本文中にあった気になるお話も別の機会に発信できたらと思います。
なんの変哲もない私が経験してきた事が、これから1つでも経験するであろうあなたのお役に立てますように。。